「白鳥を焼く男」と第4回東京国際ヴィオラコンクール
ヒンデミットと言えばヴィオラ。彼の一番得意な楽器だからです。
ヒンデミットのヴィオラ曲と言えば、なんでしょうか。
人によって様々な意見が出ると思います。
その意見の一つにあげられるのが、「白鳥を焼く男」です。
ドイツ語で書くと、Der Schwanendreher。Schwanが白鳥。その後ろの綴りはいったい何なんでしょう。
ヒンデミットの曲にしてはメロディがきれいで、調が感じやすい曲です。
特に第2楽章のソロヴィオラとハープの2重奏にはうっとりしてしまいます。
とは言っても音の跳躍に驚いたり、音の刻みにドキドキしたりすることはあります。
ヒンデミットらしい和音と、調性が共存している曲と言えるのではないでしょうか。
それについて言及した文章、2013年のヴィオラスペースのプラグロムノートにはこうあります。
全体的にはっきりと調性への回帰が認められる。
こうした柔軟さは、この曲が書かれた1935年の前年に起きた「ヒンデミット事件」や、
一連のヒンデミット排斥運動の空気に対する、作曲家なりの創造的な返答と考えられる。
なるほど。やたら調性を感じられるのは世論に引っ張られたという説です。
ヒンデミット本人が本当にそう考えたかどうかは不明ですが、そういう可能性はありそう。
このプログラムノートがいい資料なので、引き続き抜粋しながら引用します。
「ヴィオラと小オーケストラのための古い民謡にもとづく協奏曲」という副題がついている。
ヴィオラが遠くからやってきた吟遊詩人で、民衆役のオーケストラに話を語って聞かせるという設定。
4つのドイツ民謡が使われ、うち3つが各楽章のタイトルになっている。
第2楽章のみ2つの民謡にもとづく。
第2楽章ではタイトルにある民謡「さあ、親愛なるリンデンの樹よ」がリュートの音(ハープ)とともに
柔らかく吟じられた後、中間部で快活な民謡「堀の上にカッコウが止まった」が繰り広げられる。
終楽章は祝祭的な民謡「お前は白鳥を焼く男ではないか?」にもとづいて華々しく展開する。
つけたすと、第1楽章は「山と深い峡谷の間で」という民謡らしいです。
しかし民謡をもとにしたと言っているけれど、この民謡はどういうものなんでしょうね。
ドイツ人にとっては一般的なのかしら。謎です。
うれしいことに作曲者自演の録音があるので聴いてみましょう。
16分音符が、かなり短く演奏されています。8分音符と16分音符2つの音型だと、3連符になりがちなのは悩みの常。
彼は相当それを気にしているのが演奏からわかります。あとピッチ低い。意図的でしょうか。勉強になる。
それから、今年行われた第4回東京国際ヴィオラコンクール、本選の演奏も聴いてみましょう。
わたしは生で聴きに行きましたが、4名それぞれ、大変すばらしいです。
キムさんの安定感あふれる演奏と弾き終わった直後の清々しい表情。
シェンさんのハリとダイナミックさがあふれる演奏。
ファンさんの繊細な音と弾き終わった直後の少し渋い顔。
近衛さんの精密に組み立てた演奏と演奏直後のカーテンコール。(動画はアップされてないけど言及しなければ)
すべて覚えています。そしてこの場には立っていない、本選に残らなかった奏者にも思いをはせました。
きっと彼らも素晴らしい演奏をしたんだろうと想像すると、感動します。
30人ほどのコンクール出場者が、コンクールに向けて日々曲に向かっていた日々があると思うと、
その時間は本当に尊いものだと思うし、出場者全員のこれからを祝福したいと思います。
それから、課題曲に「白鳥を焼く男」を選んでくれた信子さんとタメスティ氏にも、ありがとうと伝えたいです。
1日でこの曲を生で4回も聴く機会は今後もないでしょう。大変貴重な時間でした。
ただ、大好きな曲でも、厳しい曲なので、連続で集中して聴くのはしんどかったね。
オペラ《カルディヤック》
ヒンデミットのオペラが日本で上演されることはとても稀です。
その例の一つが2013年3月1-3日に新国立劇場で上演された《カルディヤック》日本初演です。
まずあらすじ。
舞台は17世紀パリ。金細工師のカルディヤックの作品を持つ人が殺され、金細工が盗まれるという事件が起きている。
犯人は作者のカルディヤックで、なぜそんな犯行を行っているかというと、自分の作品が好きすぎて、売ったはいいけど自分の手元にないといられないようになってしまったからなのでした。(なんて自分勝手)
なんやかんやあって、結局カルディヤックの罪は白日の下にさらされる。主人公の破滅で幕です。
ひどい話だ。自分の作品に魅入られて人殺ししてては、その先には破滅しかないですよ。うん。
カルディヤックを狂わせる金細工、これは何を意味しているんでしょうね。わからないです。もしも自分にもカルディヤックにとっての金細工があったら、破滅しか道がないのかな、いやだな。
このオペラにはもとにした小説がありまして、E.T.A.ホフマン作「スキュデリー嬢」になります。
日本語訳されて、岩波文庫から出ているそうです。
E.T.A.ホフマン(1776-1822)はドイツの作家。でも曲かいたり絵をかいたりいろいろしている人。
モーツアルト(1756-1791)やベートーヴェン(1770-1827)と生きた時がダブっていますね。
彼の作品は国内外の作家や音楽家に影響を及ぼし、ホフマン作品からオペラやバレエを作ることもしばしばあったよう。
チャイコフスキー作のバレエ《くるみ割り人形》やオッフェンバック作のオペラ《ホフマン物語》がそれにあたります。
ヒンデミットのカルディヤックもこの流れの一つなんですね。
チャイコフスキーやオッフェンバックよりもヒンデミットは若いので、流行遅れな感じもしますね。
先人がやっていたことはとりあえずやってみようと思い立ったのか、売れると思って書いたのか、ホフマンに思い入れがあったのか、オペラ書きたいと思っていてたまたまホフマンと出会ったのかはわかりません。
台本のフェルディナンド・リオン(1883-1968)は、ジャーナリスト兼作家。
オペラの台本を書いたり、エッセイを書いたりしている人のようです。
オペラ《カルディヤック》は1926年11月9日ドレスデン国立歌劇場で初演されました。3幕オペラ。
そして1952年には4幕オペラに改作をします。お気に入りの作品は何でもこのころに改作してしまいます。
しかし、この改作で幕が増えた以外にどんな変化があるのかは知ることができません。
なぜなら比較する楽譜や音源をみたり聞いたりしたことないからです。いつか手に入れられるといいな。
というか、英語版ウィキペディアによると、1926年版しかレコーディングされていないようです。
心血注いで改作したはずなのに、報われない1952年のヒンデミット。
1926年版1幕目YouTubeを載せます。
冒頭はオーケストラのユニゾンで幕を開けます。とってもショッキング。
しばらくすると男女の合唱が絶叫します。とってもショッキング(2回目)。
開始2分で頭をぶん殴られたかと思うような叫び声で持っていかれます。
たぶん民衆が「殺人犯を捕まえてくれ!!」って叫んでいるのだと思います。鬼気迫ってます。
この鬼気迫っている感じが、1920年代のヒンデミットらしいなあと思います。
私事ではありますが、日本初演の公演には行くことができなかったので、また日本で公演されることを楽しみにしています。
2013年がオペラ《カルディヤック》唯一の機会になりませんように。むりでしょうか。
参考文献(いずれも2016年12月5日閲覧)
作曲の変遷1
ヒンデミットも生まれた時から交響曲やオペラが書けたわけではありません。
彼がどんな曲を作ってきたのか、作曲の変遷を追いかけます。今回は1回目です。
少年パウル・ヒンデミット氏は、9歳から始めたヴァイオリンが大変上手だったようで、13歳(1908年)の時、ドイツはフランクフルトのホッホ音楽院へ学費免除で入学されたそうです。入学当初はヴァイオリンで食っていくつもりだったのかもしれません。
ところが少年ヒンデミットは独学で作曲もしていたようで、とうとう1912年からはホッホ音楽院で作曲のレッスンを受けるようになります。師匠はアルノルト・メンデルスゾーン。アルノルトは、フェリクス・メンデルスゾーンの親戚だそうです。アルノルトが病床に伏した1913年からは、ベルンハルト・ゼクレスにつきます。
ゼクレスさんについたころから、少年ヒンデミットは作品番号をつけた曲を書きだします。作品1~9がゼクレスさんについていた時書いたもののようです。
作品番号 | 曲名 | 編成 | 作曲年 | 現存 |
作品1 | アンダンテとスケルツオ | cl,hn,pf | 1914 | × |
作品2 | 弦楽4重奏曲第1番 | vn2,va,vc | 1915 | ○ |
作品3 | チェロ協奏曲 | vc,orch | 1915-1916 | ○ |
作品4 | おどけたシンフォニエッタ | orch | 1916 | ○ |
作品5 | 面白い歌 アールガウの方言で | high v,pf | 1914-1916 | ○ |
作品6 | 7つのワルツ 4手のための | pf | 1916 | ○ |
作品7 | ピアノ5重奏曲 | vn2,va,vc,pf | 1917 | × |
作品8 | チェロとピアノのための3つの小品 | vc,pf | 1917 | ○ |
作品9 | 3つの歌 | S,orch | 1917 | ○ |
オーケストラ曲は作品3と作品9のみで、室内楽が目立つような気がします。自作自演とかしてたんでしょうか。それはおいといて、どんな曲か、ということです。私の予想ですが、これら曲を初めて聴いた人は、ヒンデミットの楽曲だとは思わないでしょう。聴いてみましょう。
ではこちら、作品8チェロ協奏曲のピアノ伴奏版の動画になります。
Hindemith - 3 pieces for cello and piano, Op. 8
2曲目だか2楽章のタイトルが Phantasiestück 、つまり「幻想曲」。聴いていただくとわかるのですが、転調がしつこいくらいされます。ロマン派ぽいです。
ではここでもう一曲。弦楽四重奏曲第一番です。
Paul Hindemith - String Quartet No. 1, I
これを聴くとフェリクス・メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲を思い出します。メンデルスゾーンは16歳でこの名曲を作りましたが、ヒンデミットも二十歳そこそこでいい曲書いたなあと思います。
ちなみに、今回の情報源は、自分の論文からでございます。
ヒンデミット家
情報源はこちらの本。ドイツ語です。本を書いているのは、ドイツのフランクフルトにある、ヒンデミット研究所の取締役だった、ギゼルヘア・シューベルトさん。
ヒンデミット家は、お父さん、お母さん、妹、その下の弟と、5人家族3人兄弟の長男でした。
自分で家系図を作りました。父のロベルトさんが45歳で亡くなっていますね。お母さんはマリアさん、妹はトニさん、弟はルドルフ君。弟はお父さんのミドルネームをもらったんですね。
父ロベルトさんは3人の子供に楽器を習わせます。長男はヴァイオリン、長女はピアノ、次男はチェロ。
ロベルトさんは、塗装工が仕事らしいんですが、はっきりとしたことはわからないです。というのも、ドイツ語からの日本語訳がよくわからないのです。Kaufleuten und Handwerkern て、なんでしょうか?体を使った職人、手工業……ともかく、父ロベルトさんは音楽家ではなかったのです。でも、子供たちには音楽家になってほしかったのでしょう。子供3人で「フランクフルト児童トリオ」(Frankfurter Kindertrio)というトリオを作って、演奏活動をしていたようです。
パウルはヘッセン州ハーナウで生まれたのに、なんでフランクフルト?と疑問を持たれたコアなあなたさま。1902年に一家はフランクフルトへ引っ越したとのことです。フランクフルトもヘッセン州なので、県内の隣の市へ引っ越した感じでしょうか。
最後に、パウルの奥さんは、彼の職場フランクフルト歌劇場指揮者、ルートヴィッヒ・ロッテンベルクさんの娘、ゲルトルートさんです。ご子息はいらっしゃらないそうだ。
THE GLENN GOULD READER2
今回もグレン・グールドリーダーのヒンデミットに言及している部分を取り上げます。
文章のタイトルはこちら。
・A TALE OF TOW MARIENLEBENS
MARIENLEBENはドイツ語で、MARIEN→マリア(人名)、LEBEN→生涯(名詞)をつなげたものです。
日本語訳すると、「2つのマリアの生涯のお話」といった感じでしょうか。
この文章は、グールドさんがソプラノ歌手ロクソラーナ・ロスラックさんと録音した「マリアの生涯」という歌曲集のレコードについているライナーノーツが元です。
さて、なぜ2つのマリアの生涯なんでしょうか。それは、ヒンデミットが歌曲集「マリアの生涯」を改定し、出版したからです。詩は同じですが、曲は初版の素材を再加工して出版した感じでしょうか。使っている材料は同じでも、明らかに異なっています。よって、「マリアの生涯」はヒンデミットの作曲変遷をみる上で絶対に欠かせない曲の一つです。
グールドさんの文章は、改定前後の譜例を出しながら書き綴っていきます。また、ヒンデミットは改定した楽譜の冒頭に、なぜ改定したのか、どの点を改めたのかを、詳しく、そして長く書いておりますので、グールドさんはもちろんその文章を拾いながら、自身の解釈を付け加えていきます。よってページ数は膨らみ、13ページほどになります。
改定前後の譜例を出している部分を1か所抜き取って見てみます。第6曲「羊飼いたちへのお告げ」の中間部分になります。譜例1が初版のもので、譜例2が改定版になります。もちろん、同じ歌詞の部分ですよ。
譜例1
譜例2
譜例1のソプラノは、まるでピアノやクラリネットなどの楽器がしそうな半音階の動きをしています。明らかに歌いにくそうです。また、ピアノの楽譜と並行してみてみると、ピアノの音がソプラノの旋律を補強したり、助けているようにはとても見えません。より一層歌いにくそうです。
譜例2は、八分音符の半音階はなくなっているし、譜面がすかすかしています。ピアノとソプラノが呼応しているようにも見えます。グールドさんは [ complacent chord clusters and predictable, cue-oriented interludes. ] 「満ちたコード群と、予測される合図のある間奏曲」と書いています。たぶん。
グールドさんは初版と改定版について、おおよそ以下のように書いています。
初版は、休みがなく息継ぎする場所を探すのにも苦労する、器楽的な半音階の動きで、歌い手にとっては困難極まりないが、それによって生まれる力強さと緊迫感が効果的に働いている。
改定版は、特徴的な部分があまりに少なく、和声も安定しており、意外性がない。ホの調性は人間としてのキリストを、ロの調性はマリア自身を現すなど、和声を細かく設定して作曲しているが、それらを固定化してしまったことにより、初版にはあったドラマ性が損なわれている。
グールドさんは改定版の作曲の仕方が、有効に働いている部分も取り上げています。改定版のフォローもするとは、さすがです。しかし文末はこのように締めています。
I firmly believe Das Marienleben in its original form is the greatest song cycle ever written.
私は元の「マリアの生涯」が、今まで書かれた歌曲集の中で、最も素晴らしい歌曲集であると固く信じている。
改定版のフォローは何だったんでしょうか。当然のことながら、グールドさんとロスラックさんが録音したのは、初版の楽譜です。
THE GLENN GOULD READER
ピアニストのグレン・グールドさんがヒンデミットについて書いた文章があります。
グールドさんの書いた文章やインタビューがまとめられた、こちらの本です。背表紙の厚さが2,5センチあり、なかなか分厚い書物です。余談ですが、ネイティブの方いわく「ジョークがいちいち面白い」とのことでした。知識を得るのみならず、読み物としても楽しめる本のようです。英語ですが。ありがたいことに日本語版も出版されています。
この本に、ヒンデミットについて触れている文章が2つあります。以下それぞれの題名になります。
・HINDEMITH:WILL HIS TIME COME? AGAIN?
・A TALE OF TOW MARIENLEBENS
今回は前者の文章を見ていきます。
文章のタイトルを訳すと「ヒンデミット、彼の時は来るのかな?もう一度?」といった感じでしょうか。再び余談ですが、この文はグールドさんがヒンデミットのピアノソナタ集をレコードで発売した際、レコードと一緒についてくるライナーノーツ(冊子)に書いたもので、4ページほどの分量です。
細かいところを読んでいくと、面白い言い回しがちょこちょこあるのですが、そういうのはざくっと切り捨てて、要点のみ拾います。
・1930年代、ヒンデミットの評判は絶頂に達したにもかかわらず、当時のどの音楽思想に属するのかが分からない。
・ヴェーベルンとの比較が分かりやすく、ヴェーベルンは生きていた当時、あまり名の知れた作曲家ではなかったが、現在において彼の功績は計り知れない。ヒンデミットはその逆である。
・ヒンデミットは後期作品になると、作品に自身の論理を用いて一貫性を持たせたが、初期作品にはあったエクスタシーや情熱的な部分はなくなっていく。
・ヒンデミットの作品で演奏の機会を確保したものは一握りで、それ以外は学生演奏会のプログラムに載るか、オルガン演奏会、または保存用のレコードに演奏されるだけである。これは残念なことだ。
・ヒンデミットの売りは、理性でもって作られたプロットと、エクスタシーが混ざっていることである。
・ヒンデミットは、これから何度も評価されなおすのではないか。未来のことはわからないけれど、彼がいたことは評価しなければならない。
なんだか、ヒンデミットの評価が高いですね。
この文の中には、引き合いに出した作曲家や曲が沢山あります。その一つ一つに、なるほど、とうなづいてしまいます。面白い文章なので、ご一読されてみてはいかがでしょうか。英語ですが。
今回は、英語版と日本語版、両方を見ながら意訳した文章の抽出になりました。疑問点、おかしな点などありましたら、ご指摘いただけると幸いです。
「はじめての音楽史」
ヒンデミットって音楽史の中でどんなところに位置している人なんでしょう。
ウィキペディア見ても、さまざまな楽器を演奏できて、作曲も指揮も教育もした人ってことはわかるけど、音楽史の中でどんな位置にいるのかピンとこない。
そんなときに「はじめての音楽史」を開いてみてみます。
わたしが大学生の時、音楽史の授業で使用した教材はこの本でした。
西洋音楽史と日本音楽史をぎゅぎゅっと圧縮した内容です。
音楽史の流れを概説したものになるでしょう。
さて、本を手に取り、後ろの方にある「人名索引」でヒンデミットを引きます。
すると115、117、118の3ページに記載があるようです。
それぞれ見ていきます。
〈115ページ〉
ドイツでも表現主義への反動の波が起こり、ブゾーニが新古典派主義への転向を宣言した。また初期には表現主義的な歌劇《殺人者、女の望み》、《ヌシュ・ヌシ》、《聖スザンナ》という三部作を書いていたヒンデミットも、《画家マティス》をはじめ明快な形式をもつ古典的な音楽へと方向転換する。〈実用音楽〉といった呼び名があたえられているものも、そうした傾向の音楽である。
この引用部分は「新古典主義」という項目の一部分にあたります。ヒンデミットは、ドイツにおいては新古典主義のNo.1~2の位置にあり、表現主義から新古典主義へ転向したということが読み取れます。
〈117~118ページ〉
アメリカに渡ったシェーンベルクやストラヴィンスキー、ヒンデミットといった作曲家たちは、教育者として、この国の音楽創造の発展に寄与することになる。(中略)もっともヨーロッパからの亡命作曲家たちが新天地で自らの創作をそのまま全うできたかというと、かなり疑問もある。シェーンベルクは《組曲ト短調》を皮切りに、アメリカの風土に合わせて、調性をもつ音楽に再び手をそめた。ヒンデミットの《ウェーバーの主題による交響的変容》も同様の文脈で理解できる。
アメリカへ亡命した一流の作曲家たちは、アメリカでは優秀な教師として活動する一方、自分の創作はアメリカでもうけるように作曲していた。ヒンデミットもその一人だ、ということですね。
ここまで読んでみると、ヒンデミットはドイツ人ではトップだけれど、シェーンベルクやストラヴィンスキーには一歩及ばない感じに見受けられます。超一流だけれど2番手3番手、みたいな。
「はじめての音楽史」から読み取れるヒンデミット像は以上です。存在感がありません。